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『プレーバック“Jリーガーの鮮烈”』④ドイツ代表の誇り

ことしはワールドカップイヤー、そして1993年のJリーグ発足から30年目となる節目です。1990年代の草創期にはワールドカップで活躍したスーパースターがリーグを活気づけました。2000年代に入ると、Jリーグでプロのキャリアを確立し、ワールドカップへと羽ばたく外国人選手も登場しました。名プレーヤーの活躍とともにワールドカップの歴史を振り返ります。

カタール大会で日本が初戦で対戦するドイツは優勝4回。1954年スイス大会から16大会連続でベスト8に進出し、ワールドカップの歴史にその強さを刻んできました。

第4回はドイツ代表の誇り

ワールドカップ優勝を経験した3人のJリーガーの活躍とともに、日本とドイツのつながりを振り返ります。
(構成 アナウンサー 小宮山晃義)

目次

    “出場3回すべて決勝進出”リトバルスキー

    1990年イタリア大会 優勝に貢献

    西ドイツ代表として3回出場したワールドカップで準優勝2回、優勝1回。輝かしい成績を残したのがジェフ市原(現ジェフ市原・千葉)で活躍したリトバルスキーです。身長1メートル68センチ、細身のミッドフィルダーは繊細なボールタッチと正確なキックでチャンスを演出しました。22歳で初出場した1982年スペイン大会では大会最多5つのアシストを記録。3回目の出場となった1990年イタリア大会では決勝でアルゼンチンを破りワールドカップを掲げました。

    ジェフ市原(当時)で活躍

    1993年にジェフ市原に加入すると卓越したテクニックと明るいキャラクターでファンを魅了。“リティ”の愛称で親しまれました。私が特に記憶に残っているのが独特のボールタッチです。両足の内側でボールをはじくようにダブルタッチしながら相手を交していくドリブルが印象に残っています。

    独特のボールタッチのドリブルが持ち味

    私が小学生の時に所属していたサッカーチームには“リティ”というトレーニングメニューがあり、監督が「リティ」とかけ声をかけると両足の内側のダブルタッチを繰り返すという練習がありました。今振り返ると、少年サッカーの指導にまで影響を与えたリトバルスキーの存在の大きさを感じます。

    アビスパ福岡監督時代 ソフトバンク王監督と(2007年)

    リトバルスキーは、現役引退後、ドイツのプロチームで監督を務めたほか、Jリーグのアビスパ福岡の監督を務めるなど日本で指導者としても活躍しました。

    “マラドーナを完封し頂点に”ブッフバルト

    1990年イタリア大会 優勝に貢献

    浦和レッズで活躍したセンターバックのブッフバルトは粘り強い守備で1990年イタリア大会の優勝に貢献。アルゼンチンとの決勝で脚光を浴びました。ブッフバルトはアルゼンチンのスーパースター・マラドーナを徹底マーク。まるで監視するように密着し、時には敵陣にまで追いかけて行ってタックル。その動きを完璧に封じました。エースを抑えられたアルゼンチンは2人の退場者を出し、試合中のペナルティキックを決めた西ドイツが1対0で勝利。ブッフバルトは西ドイツ3回目の優勝、“陰のMVP”と称されました。

    浦和レッズでも守備の要

    ブッフバルトは1994年に加入した浦和レッズでもその実力を存分に発揮しました。

    ひと際大きな体格、迫力のある守備で常に威圧感がありました。Jリーグ発足から2年連続で年間順位最下位でスタートした浦和レッズはブッフバルトが加わって以降、上位争いをする強豪チームとなっていきました。

    浦和レッズ率いてタイトル獲得も

    そして引退後に監督として浦和レッズに戻ってきたブッフバルトは2005年度の天皇杯優勝、そして2006年にJ1リーグ初優勝。“勝者のメンタリティー”をJリーグでも体現しました。

    “ドイツの強さを継承” ポドルスキ

    2014年ブラジル大会 優勝(右)

    “強いドイツ”の伝統を受け継いだのがヴィッセル神戸でプレーしたポドルスキ。左足から繰り出す強烈なシュートを持ち味にインパクトを残しました。2006年にポドルスキは21歳で自国開催のワールドカップに初出場。この大会で得点王となったエース・クローゼと前線を活性化させ3得点。チームの3位に貢献しました。
    ドイツは2002年の日韓大会で準優勝しましたが、2004年のヨーロッパ選手権では1次リーグ敗退。自国開催のワールドカップ開幕前には上位進出を危ぶむ声も聞かれる中で、ポドルスキは躍動し大会のベストヤングプレーヤー賞に輝きました。その後もドイツ代表の中心選手としてワールドカップ3大会に出場し、2014年ブラジル大会では優勝メンバーに名を連ねました。

    ヴィッセル神戸 攻撃の中心として活躍

    2017年に加入したヴィッセル神戸ではJリーグデビュー戦でいきなり2得点。得意の左足から繰り出すパワフルなシュートでスタジアムをわかせました。2019年度には天皇杯優勝、クラブ初のタイトル獲得に貢献しました。

    感情を隠さない個性の強さも印象的です。得点が決まれば無邪気に喜び、試合運びがうまくいかない時には厳しい表情で味方を鼓舞。発するエネルギーの大きさに、長く世界で活躍してきたトップ選手としての誇りや自信を感じました。

    2019年度 天皇杯優勝に貢献

    “日本サッカーの父” クラマー

    “日本サッカーの父” クラマー

    そして日本サッカーの発展に大きく貢献したのが旧西ドイツ出身で2015年に亡くなったクラマー。1964年の東京オリンピックに向けた日本代表の強化にあたるため、初の外国人コーチとして来日しました。

    アビスパ福岡を激励 リトバルスキー監督と(2007年)

    基礎的な技術を徹底してたたき込み、日本を代表するストライカーの釜本邦茂さんなどを育て上げ、日本は東京オリンピックでベスト8。クラマーは大会後に帰国しましたが、その際に残した“リーグ戦の創設”など強化のための提言は、実際に東京オリンピック翌年の日本サッカーリーグ発足につながりました。その功績から“日本サッカーの父”と言われています。

    今大会の日本代表 ドイツでプレーする選手も多数

    今大会の日本代表メンバーにはドイツでプレーする選手が多くいます。
    日本サッカーの発展に関わり、今もつながりの深いドイツとワールドカップの大舞台で対戦するのは今回が初めてです。

    関連リンク

    日程・結果(日本時間)

    日本代表